2024年4月21日、ピアニストのフジ子・ヘミングさんが亡くなられました。
晩年まで精力的に音楽活動をされていたその情熱に心からの敬意を表し、まずは哀悼の意を捧げたいと思います。
- フジコ・ヘミングの年齢は91歳
- フジコ・ヘミングの生い立ちは?
- フジコ・ヘミングの若い頃の画像を紹介
フジ子・ヘミングの年齢は91歳
フジコ・ヘミングさんの享年は91歳でした。
- 本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ
- 生年月日:1932年12月5日
- 出生地:ドイツ・ベルリン
- 学歴:東京藝術大学卒業
ベルリン国立音楽学校卒業
フジコ・ヘミングさんは1932年にワイマール共和制下のベルリンで生まれています。
ご両親と2歳下の弟の4人家族でした。
フジコ・ヘミングの母親も音楽家
フジコ・ヘミングさんの母親は日本人ピアニストの大月投網子さんです。
- 本名:大月投網子(とあこ)
- 生年月日:1903年
- 出身地:日本・大阪
- 学歴:東京音楽学校卒業
- 職業:ピアニスト
大月投網子さんは国産インクを発明し、毎日新聞などに採用されることで財を成した大月専平氏の令嬢です。
投網子さんはベルリン留学中に7歳年下の夫のヘミングさんと出会い、フジコ・ヘミングさんと弟のウルフさんをもうけました。
- 名前:ヨスタ・ゲオルギー・ヘミング
- 生年月日:1910年ごろろ
- 出身地:スウェーデン
- 職業:画家・建築家
ヨスタ・ゲオルギー・ヘミングさんはフジコ・ヘミングさんの生まれた年である1932年に日本郵船の客船ポスターを手掛けています
フジコ・ヘミングの生い立ちは?
生まれはドイツ
日本人の母とスウェーデン人の父を持つフジコ・ヘミングさんは、母投網子さんの留学先であったドイツのベルリンで生まれています。
5歳の頃に一家そろって日本に移住。
しかし父のヘミングさんは日本に馴染むことが出来ず、妻子を残してスウェーデンに帰国してしまいます。
残された母子3人は東京の渋谷穏田で暮らしました。
お父さんが日本で暮らすには、時代も大変だったのかも
留学しようとして無国籍が発覚
5歳の頃から母投網子さんの指導を受け、尋常小学校3年生の時にはNHKラジオに生出演して天才少女と騒がれるほどのピアノの演奏を披露したフジコ・ヘミングさん。
10歳になると父の友人で母のピアノの師でもあったロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァー氏に師事するようになりました。
16歳の時に中耳炎の悪化で右耳の聴力を失いますが、17歳の時にはデビューコンサートを果たします
戦後、母と同じ東京藝術大学を卒業。
ピアノ留学を希望してのパスポート申請時に、実は無国籍になってしまっていることが発覚しました。
スウェーデン国籍を持っていても一度も入国していなかったせいで国籍が抹消されていたのです
結局、国籍を取得することはできず、1961年にドイツ大使館の協力を得て、難民として国立ベルリン音楽大学に留学することが出来ました
難民扱いって!!
留学は出来たものの、生活はかなり厳しかったそうです。
ヨーロッパでピアニストとして活動
ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事し、作曲家で指揮者のブルーノ・マデルナのソリストとして契約しましたが、リサイタル直前に風邪をこじらせ聴力を失います。
スウェーデンの首都ストックホルムで治療の傍ら音楽学校の教師の資格を得、以後はピアノ教師をしながらヨーロッパ各地でコンサート活動を吸づけました
治療の甲斐あって左耳の聴力は40%程度まで取り戻すことが出来たんだって
40歳の時に父親の後妻の助力によってスウェーデン国籍を回復することが出来ました。
ドキュメント番組から日本でブレイク
母投網子さんが1995年に亡くなったことをきっかけに日本に戻ったフジコ・ヘミングさんは、日本でも母校の奏楽堂などでのコンサート活動をつづけました。
ブレイクのきっかけは1999年2月にNHKの「ETV特集」で取り上げられたことです。
「フジコ~あるピアニストの奇跡~」と題された番組は反響を呼び、フジコブームが巻き起こりました。
その後発表されたデビューCD「奇跡のカンパネラ」は発売後3か月で30万枚という、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなりました。
「遅咲きのシンデレラ」って言われたんだよ
フジコ・ヘミングが膵臓癌で死去
ブレイク以後もフジコ・ヘミングさんは精力的にコンサート活動をつづけました。
公式サイトのコンサート情報によると、2023年11月1日に「なら100年会館大ホール」で行われたコンサートが最後の舞台だったようです。
関西フィルとの共演だったよ
コンサートの予定自体は、今年の7月まで発表されていました。
フジコ・ヘミングの若い頃の画像を紹介
「遅咲きのシンデレラ」であるフジコ・ヘミングさんの若い頃の画像はあまり多くはありません。
ご自宅のピアノの周りには思い出の写真が多く飾られているようですが、その写真のすべてがフジコ・ヘミングさんご自身のものでもないでしょうし、切り出すには画像が小さすぎます。
そこでネット上で見つけられる画像を集めてみました
子供時代
どう見てもまだお子さんの頃の写真です。
もしかしたら天才少女ともてはやされた小学生の頃の写真でしょうか?
お母さんの教育はとても厳しかったそうです。
10代~20代頃?
こちらはおそらく、10代~20代頃ではないかと思われる写真です。
肩のラインはまだ華奢であどけない感じですが、迷いのない表情が横顔からもうかがえます。
ラ・カンパネラ1973ジャケット
こちらは1973年から2004年までのライヴテイクをあつめたというCDのジャケットです。
1973年というと41歳ですから、ジャケット写真はその頃のものでしょうか。
いかにも意志の強そうな、くっきりしたお顔立ちです。
まとめ
- フジコ・ヘミングの享年は91歳
- フジコ・ヘミングは日本人ピアニストの母と、スウェーデン人画家で建築家の父の間に生まれた。
- フジコ・ヘミングは小学校3年生の時にラジオに生出演している
- フジコ・ヘミングの右耳は失聴しており、左耳も40%ほどしか聞こえない。
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