宇多田ヒカルさんは言わずも知れた歌手ですが、お母さんも有名な歌手であったことをご存知でしょうか?
お母さんは既に他界されており、宇多田さんは過去に母へ向けた歌をリリースしています。
この記事では、宇多田ヒカルさんの母の転落死について解説し、また母へ向けた歌の意味について考察します。
- 宇多田ヒカルの母(藤圭子)について
- 藤圭子の死因について
- 宇多田ヒカルが母へ送った「花束を君に」の歌詞の意味
宇多田ヒカルの母は藤圭子!
宇多田ヒカルさんの母は、日本の演歌歌手であり俳優である藤圭子さんです。
藤さんは62歳という若さで亡くなられました。
藤圭子さんの死因や生涯について解説します。
死因は転落死で自殺の可能性
- 藤圭子さんの命日は2013年8月22日である。
- 新宿区のマンション13階のベランダから飛び降り自殺した可能性が高いと報道された。
- マンションの持ち主は、元夫が情緒不安定だった藤さんの監視役として同居を依頼したマネージャーの30代男性である。
- 男性は藤さんと別の部屋で寝ており、転落には気付かなかったと言う。
- 遺体からはアルコールや薬物の反応はなく、争った形跡もなかった。
藤さんは、2013年8月22日に新宿区のマンション13階のベランダから飛び降り自殺をした可能性があると報道されました。
マンションの路上に倒れているところを発見され、ベランダには踏み台にした可能性のあるクーラーボックスが置かれていたと言います。
遺体からアルコールや薬物の反応はなく、争った形跡もなかったそうです。
このマンションの持ち主は30代の男性で、6年前から藤さんと同居していたそうです。
家族でも手をつけられないほど情緒不安定になっていた藤さんを元夫である宇多田照實さんが“監視役“として同居させた元マネージャーで、信頼のおける人物だったと言われております。
この男性は藤さんと別の部屋で寝ており、転落に気づかなかったと発言しておりました。
この男性はショックだったよね…
藤圭子の遺書はあった!
当初、藤圭子さんの遺書はなかったと報道されましたが、後日、宇多田ヒカルさんが遺言書があったと公表しております。
宇多田さんは“母らしい、非常に素直な遺言書“と発言しており、その内容に基づき出来る限り母の意向に沿う弔いをしているとのことでした。
葬儀や告別式といったイベントを好む人ではなかったことを説明し、遺体との面会希望も拒否していたそうです。
本人の意向を尊重する素敵な弔い方だね!
藤圭子の生涯
- 1951年:岩手県で3人兄弟の末っ子として生まれる
- 1969年:「新宿の女」でデビュー
- 1970年:「圭子の夢は夜ひらく」が日本歌謡大賞受賞
- 1971年:歌手の前川清と結婚、翌年離婚
- 1979年:引退表明をして渡米する
- 1981年:芸能界復帰
- 1982年:音楽プロデューサーの宇多田照實と結婚、その後再婚離婚を繰り返す
- 1983年:宇多田ヒカルを出産
その後の詳細は不明だが、海外を飛び回り、2013年に新宿区で死亡した。
岩手県で生まれた藤圭子さんは、1969年に「新宿の女」でデビューし、1970年には「圭子の夢は夜ひらく」で日本歌謡大賞を受賞しました。
1971年人気絶頂の中、歌手の前川清さんと結婚しますが、翌年に離婚しています。
1979年には、「もっと違う生き方をしたい」と突然引退してしまいます。
しかし1981年には芸能界へ復帰し、1982年に音楽プロデューサーである宇多田照實さんと再婚、翌年に長女・宇多田ヒカルさんを出産します。
宇多田ヒカルさんは音楽界のサラブレッドだったんだね!
その後、照實さんとは6・7回離婚と再婚を繰り返したと言われています。
1998年に宇多田ヒカルさんがデビューしてからは裏方として表にはほとんど出てこなくなっています。
メディアには、2006年に現金約5,000万円を持ってアメリカへ渡った際、ニューヨークの空港で差し押さえられるという報道が最後となりました。
このお金はカジノで使うためであり、ファーストクラスなどで5年で5億円を使用している程お金を持っていることも明かし、2009年には全額返金されています。
宇多田ヒカルさんの活躍で事務所の裏方をしていたから、すごいお金を持っていたみたい!
藤圭子さんの本名は宇多田純子さんで(旧姓:阿部)、照實さんと離婚後も宇多田という苗字のままでした。
精神的な病気を患っていたという藤さんは、多額の現金をカバンで持ち歩いていたようで、宇多田ヒカルさんが稼ぎ出す莫大な資産により金銭感覚が狂ってしまっていたのかもしれませんね。
宇多田ヒカル「花束を君に」は母への歌
2016年にリリースされた宇多田ヒカルさんの楽曲「花束を君に」は、亡き母に向けた手紙だと公言されております。
どんな意味が込められているのかについて、歌詞から考察してみました。
- 「薄化粧」「涙色の花束」からはお葬式の死化粧や献花が連想され、淋しい様子がお洒落に表現されている。
- 「愛しい」「愛」「僕の太陽」「君を讃える」といった歌詞から、母を尊敬して感謝している様子が感じられる。
- 「抱きしめてよ たった一度 さよならの前に」からは娘としての淋しい本音が感じられる。
お葬式を連想させる歌詞
歌詞の中には、お葬式を連想させる内容があります。
「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」からは死化粧を、「涙色の花束を君に」からはお葬式での献花が連想されます。
藤さんは葬儀や告別式といったイベントを好まなかったと言われておりますが、全く何もなしというのは考えにくいので、イベントのように人を集めずに小さく行ったのではないでしょうか。
悲しみや淋しさの中にお洒落さが残る素敵な表現だね!
母への愛と感謝を伝える歌詞
歌詞の中には、「愛しい人」「楽しいことばかりだったら愛なんて知らずに済んだのにな」とお母さんへの愛が表現されております。
宇多田さんの両親は再婚と離婚を繰り返しており、また幼くして成功した宇多田さんの裏側で苦労も多く、楽しい思い出ばかりではなかったのでしょう。
しかし、そんな苦労もあったからこそ愛を知ることができたよという、宇多田さんの感謝が感じられます。
宇多田さんは両親のことを、「夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人」と表現しており、父は母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人だと明かしています。
宇多田さんは結婚しているから愛を知れて旦那さんと出会えたよ!という意味もあるのかも!
また、「眩しい風景の数々をありがとう」「君の笑顔が僕の太陽だったよ」「君を讃えるには足りないから」という歌詞からは、宇多田さんがお母さんのことを尊敬して感謝している様子が素直に感じられますね。
娘の本音が見える歌詞
「抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」という歌詞があります。
個人的には、このフレーズが娘として1番の本音である気がして泣けてしまいます。
15歳でデビューして以来、すごい勢いでスターになった宇多田さんは、忙しすぎて母に十分に甘える時間が少なかった可能性が考えられますね。
そんなお母さんが、若くして突然いなくなってしまったショックは想像もできません。
「抱きしめてよ、たった一度」は、もっと親子で触れ合いたかったと言う意味が想像できますね。
歌詞の中には「言いたいこと きっと山ほどあるけど 神様しか知らないまま」と言うフレーズもあり、もっと会話をしたかった心情も読み取れます。
宇多田ヒカルは「お母さんに会いたい」とも歌っていた
- 宇多田ヒカルの歌詞の中には、母親への思いが感じられるフレーズが多くある。
- 2010年リリース「嵐の女神」では「お母さんに会いたい」と素直な歌詞がある。
- 「分かり合えるのも 生きていればこそ」と歌った3年後に母が亡くなり切なさが感じられる。
2010年にリリースされた楽曲「嵐の女神」の中で宇多田さんは「お母さんに会いたい」と強く求める表現をしております。
また「あなたには敵わない」と歌手としてなのか女性としてなのか、2人の関係の話なのか分かりませんが、母を尊敬している表現もしています。
極め付けは「分かり合えるのも 生きていばこそ」の歌詞で、この3年後にお母さんが亡くなることを予言していたかのようにも感じられ切なさが残ります。
他にも、宇多田さんは楽曲「Be My Last」で「母さんどうして 育てたものまで 自分で壊さなきゃならない日が来るの?」と、再婚と離婚を繰り返す母親へ向けたと思われる歌詞があります。
母への思いを表現する歌詞が多いことからも、宇多田さんは母のことが大好きであるが、どこか淋しい思いもしていた、そんな幼少期の様子が伺えます。
成功の裏側にはそんな辛さもあったんだね
まとめ
以上、宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんの死因や生涯についてまとめ、宇多田ヒカルさんが母へ向けて歌った曲の意味について考察しました。
- 藤圭子さんは、2013年8月22日に新宿区のマンションから飛び降り自殺した可能性が高い。
- マンションには、元夫が情緒不安定な藤さんを心配して“監視役“を頼んだマネージャーの30代男性と同居していた。
- 藤圭子さんの遺書があったことを宇多田ヒカルさんが公表しており、“母らしい、非常に素直な遺言書“と表現した。
- 藤圭子さんの本名は宇多田純子さんで、旧姓は阿部であるが離婚後も宇多田の苗字を使用していた。
- 藤圭子さんは1969年にデビューし、日本歌謡大賞を受賞するほど人気の歌手であった。
- 宇多田ヒカルさんは1982年に音楽プロデューサー宇多田照實さんとの間に生まれた長女で、藤さんと照實さんは6・7回の再婚と離婚を繰り返していた。
- 宇多田さんは両親のことを「夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人」と表現しており、父は母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人だと明かしている。
- 2016年にリリースされた宇多田ヒカルさんの楽曲「花束を君に」は、亡き母に向けた手紙だと公言している。
- 「薄化粧」「涙色の花束」からはお葬式の死化粧や献花が連想され、淋しい様子がお洒落に表現されている。
- 「愛しい」「愛」「僕の太陽」「君を讃える」といった歌詞から、母を尊敬して感謝している様子が感じられる。
- 「抱きしめてよ たった一度 さよならの前に」からは娘としての淋しい本音が感じられる。
- 宇多田ヒカルは「花束を君に」以外にも、母へ向けた思いと感じられる歌詞が多く、母が大好きで尊敬していたが、どこか淋しさもあった幼少期が感じられる。
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