2024年1月9日に演歌歌手の八代亜紀さんが2023年12月に死去していたことが発表された。
ご冥福をお祈りいたします。
八代亜紀さんは2023年8月頃から膠原病(こうげんびょう)の1種である指定難病の「抗MDA5 抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」を患っていた。
いったいどんな病気だったのか詳しく確認していこうと思います。
八代亜紀の患っていた膠原病とは?
八代亜紀さんの死因は膠原病(こうげんびょう)からくる呼吸困難です。
膠原病とはどんな病気なのか?
膠原病(こうげんびょう)とは、全身の血管や皮膚、筋肉、関節などに炎症が見られる病気の総称で、原因不明の発熱や湿疹、関節の痛みなどの症状が共通してみられます。
引用:香川クリニック
女性に多くみられる病気の1つです!
ウイルス感染や風邪などがトリガーとなって発症することがあるようです。
ただし、現時点での医学では食事内容やアルコール、たばこなどが直接的な発病に関係ないとされています。
八代亜紀の膠原病の指定難病とは?
八代亜紀さんは膠原病の中でも指定難病とされる「抗MDA5 抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」を患っていた!
この2つはどのような病気なのかを詳しくまとめてみました!
抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎
抗MDA5 抗体陽性皮膚筋炎は別名CADMと呼ばれる病気です!
初期症状としては皮膚筋炎のような皮疹が確認されるようです。
皮膚が赤くなったり、半タンが出来たり、指先に発疹症状が出るなどがあります。
比較的40歳~60歳の女子に多いとされており、この症状に伴って関節痛や関節炎、発熱なども発症します。
稀ですが、急速進行性間質性肺炎と呼ばれる症状が先行して発症することもあるそうです。
急速進行性間質性肺炎
急速進行性間質性肺炎は急速に呼吸状態が悪化する肺炎の1つです!
この症状は、肺胞間の間質部分に炎症が起こります。
肺の末端のぶどうの房のような肺胞を取り囲んでいる壁(間質)に炎症が起きます。
この間質に炎症を修復する時に間質が厚くなってしまい、その結果、呼吸困難が強くなり酸素がうまく取り込めなくなる病気です。
八代亜紀のプロフィール
- 芸名:八代亜紀
- 本名:増田明代
- 年齢:73歳(没)
- 生年月日:1950年8月29日
幼少期から歌を歌って棹立ち、15歳では上京して銀座のクラブ歌手として活動していました。
21歳の頃に歌手デビューを果たし、当初はジャズやブルースも歌っていました。
20代後半で歌った「舟唄」が大ヒットしました。
昭和から令和まで歌い続けられる名曲ですね。
※ちなみに、この名曲を歌った本人はお酒が飲めません!
演歌歌手のイメージが強いですが、音楽のジャンルを問わずに関わってきた歌手で、ラッキーマン(アニメ)の主題歌を歌ったり、ヘヴィメタルフェスへさんかするなど幅広い活動が印象的でした!
八代亜紀は結婚していた?
八代亜紀は2021年に旦那(増田登)と離婚を発表しています!
離婚は円満離婚だったそうです。
もともと、旦那は八代亜紀さんの事務所の社長でもある為、離婚後も仕事でのフォローはしていた事から円満離婚だった事は間違いなさそうですね!
元旦那は誰?
増田登さんは八代亜紀さんの元マネージャーをしていました。1994年、八代亜紀さんが44歳の時、ハワイオアフ島で結婚式を挙げました。増田登さんは5歳年下でした。増田さんは現在は事務所の社長をしています。
子供はいる?
お二人に子供はいません。
増田さんは八代さんの仕事についてよくわかっていたので、家の中のことは人を雇ってしてもらっており、八代さんは何もしなかったそうです。
当時を思うと、あれだけ売れていればとても他のことをする時間はないですね。
まとめ
歌手の八代亜紀さんが2023年12月30日に73歳で亡くなっていたことがわかりました。
死因は膠原病でした。
- 2023年8月頃から膠原病(こうげんびょう)の1種である指定難病の「抗MDA5 抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」を患っていた。
- 八代亜紀さんは膠原病の中でも指定難病とされる「抗MDA5 抗体陽性皮膚筋炎」と「急速進行性間質性肺炎」を患っていた。
- 抗MDA5 抗体陽性皮膚筋炎は別名CADMと呼ばれる病気です。
- 急速進行性間質性肺炎は急速に呼吸状態が悪化する肺炎の1つです。
- 八代亜紀は1994年にマネージャーだった増田登さんと結婚、2021年に円満離婚しています。
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